ダライアスII(タイトー)★★★★★★★★★★ |
「当時中学1年で1時間半かけて電車通学、途中の元町のでっかいゲーセンに3画面版があり、小遣い全て注ぎ込んでやっていた。目立つ筐体、大音量のBGMでいつもギャラリーが集まり順番待ち。マザーホークのステージを選べる大学生か社会人の兄さん達のテクニックに憧れつつも自分はリトルストライプコースが精一杯。バブル期の象徴のようなシューティングであり、自分にとっては思春期の一コマだった。(AIPさん)」 |
「ヤマトやタコをARMはがさずに乗り切れるかどうか、ここまでハラハラしながら、いつも精一杯ギリギリの気持ちでやっていたゲームはあまりない。暗い3画面筐体に座り込む時の没入感が今だに忘れられない。シューティング中毒に自分を引き込んだ傑作だった。(AIPさん)」 |
「達人とならんで、ゲームミュージックに目覚めるきっかけとなった一作。OGRサウンドの深みと世界観のあるメロディーラインは元より、独特の深みのある効果音が、うるさいゲーセンの中でいつも際立っていた。核を爆破したり、ボス撃破時の座席がビリビリくる轟音はさることながら、中でも秀逸なのは、金属味を帯びたボス登場音「ガーン!」(デーン?)である。あれ以上の畏怖を起こさせる効果音には、いまだ出会ったことがない。(AIPさん)」 |
「NORMALやHARDモードの筐体ではレーザーがデモ画面のような6本屈折までパワーアップしないので、クラスメートと二人プレイにして、一方にアイテムを集中する、というプレイをよくやった。木星の金色の積乱雲をすっ飛んでいくレーザー、金色のARM、敵弾が見にくかったけど、最終面はいやでも盛り上がった。(AIPさん)」 |
「その後神戸元町のダラの筐体は2年ほどでなくなり、ダラ筐体が残っているゲーセンを探し回る旅がはじまる。trendはストにはじまる格ゲーに完全にシフトし、結局ダラに再会したのは5年後の1995年、阪神大震災を生き延び、大学受験で上京した際、新宿のどこかのゲーセンで。ブランクもあっただろうが、2画面筐体で連無しだったから異様に難しく感じ、4面中ボスのイカに撃ち負けたことを昨日のように思い出す。受験はその年は失敗、今は巡り巡って都民になって久しいが、あの時行った新宿のゲーセンはどこだったのか? まだ東京が未知の土地だった頃の記憶の中に杳として知れない。(AIPさん)」 |
「やはり所詮続編って感じがあったかも。(ぴんさん)」 |
「3画面筐体の方が、横に長い分弾よけがラクでした。でもヘタクソでゲーセン版は結局クリアしてないんですけどね。「あいおーるうぇいずあしんくこーど、ツナ・サシミー」2面のキラーヒジアは逆から読むとアジ開き・・・人が完ストするのを見てて、最後の最後で流れるダライアスの面クリ曲に、ちょっと感動しました。。。(剣士労さん)」 |
「2画面に減ったがシューティングとしてはこの位でいいのでは。(3画面ではすぐ弾切れをおこす。)ボム(核?)が誘爆していくさまは爽快だ。(マッピー一番さん)」 |
「私は3画面匡体でしかプレイ出来ませんでした。当時出始めた連付き匡体を邪道だと蔑んでいた私もこればかりはしんどかった。白玉になってもまだきつい。前作よりもさらにドラマチックになったBGM。ゲーセンの劣悪な音環境ではスネアだけが目立つ火星、CDを買ってやっと「パパ!」と言ってるんだとわかった木星。PCMって本当にいいですねえ、と当時YM2203と格闘していた私は思ったものです。(outZiderさん)」 |
「人生初の1コインクリアゲー。バランスに難アリとの評判すけど、金星、地球、木星のBGMを聞くために腕を磨いたっすよ。メタンの海の猛攻とBGM「Say Papa」のギャップ!ヘタな「名作」より印象深いっすよぉ。(新屋敷泰史(Sin)さん)」 |