僕がいい歳して古ゲー漁りをやめられない理由


 僕はピコピコした音楽が大好きで、それはおそらく僕が子供の時分からビデオゲームと共にずーーーっと過ごしてきたことが根っこにあると思う。まあ一緒に暮らしていた兄貴がYMOばっかり聴いてたっていうのもあるかも。ともかく始めてやったアーケードゲームは小学3年の頃でニューラリーX。ラリーといいながらどう見てもF1カーに乗って迷路に散らばるフラッグを敵車から逃げ回りながら集めるという、今思えば単純だけど熱くなれるゲームだった。で、僕はこの時それまで聴いたことのある「テニスゲーム」とかのポポンとかブーとかのビープ音とは決定的に違う、ゲーム・ミュージックというものを初めて体験したのだった。飽きのこない軽快なメインBGMと、対照的にスリリングなボーナス面BGM。テニスゲームのビープ音がまったく話にならないほどイカしたアーケードゲームのゲーム・ミュージック!これらは僕の耳について離れず、僕は昼夜を問わずニューラリーXのBGMを口ずさみまくり、あまつさえ学校のオルガンで今で言えば耳コピで弾いてみて悦にいったりもした。どうやらもともと僕にはピコピコした電子音楽がよく合っていたようで、以来僕はアーケードゲームの大ファンになっていた。当時はゲーセンなんか行けなかったからもっぱらプレイは街のデパートの屋上でというのがあの頃の子供のアーケードゲームと接する典型的な姿だった。屋上にあがる階段を登っていくと聞こえてくる電子音に高揚感を覚えたヒトも多いと思う。あのころ曲が好きだったアーケードゲームをちょっと挙げてみると、日物のムーンクレスタとかセガのジャンプバグとかペンゴとか青春スキャンダルとかいろいろあるけど、やっぱりナムコのゲームがBGMや効果音を本当にしっかりと作ってあってどれも好きだった。そのなかでも1番好きだったのはディグダグで、ニセ基盤でジグザグなんてのもあったけど特にネーム入れのBGMが秀逸で、コレ聴きたさにディグダグはやりこんだ。そもそもディグダグはセコく1匹づつプクプクポンで殺していって何面イケるかっていうのと、あくまでも岩石落としで大量殺戮大得点のハイリスク・ハイリターン狙いの2通りの遊び方ができる凄く良くできたゲームだった。同じナムコでもドルアーガの塔とかギャプラスとかになると曲は最高にいいけどゲームは最高にくそ難しいのを出したりするから罪なメーカーでもある。

 そんなこんなで時は流れファミコンが発売され家庭でもそこそこナイスなゲーム・ミュージックを楽しめるようになった。それでもゲームミュージックのレベルの高さはアーケードの方が依然圧倒的で、デパートの屋上で僕はスターフォースのオープニングのキラキラした音色に興奮しスペースハリアーのセリフを口真似したりしていた。しかしやっぱり家で移植モノとか遊べるのは魅力で、僕はよく友達の家に遊びにいっては、ゲームを遊ばせてもらっていた。ファミコン初期の頃はデビルワールドとか忍者じゃじゃ丸くんとかの曲が軽快でお気にいりだった。ファミコンに関しては僕は特にコナミの出すソフトに関してはどれも即ゲームのBGMが気に入ってしまった。とにかく耳に残る曲が多かったしコナミは曲に限らずゴエモンとかドラキュラとか今思うとオリジナルでよくあんなに凄いソフトをファミコンで出せたものだと思ってしまう。さてなぜか自分の家にはMZ−700というシャープ製の8ビットパソコンがあって、これがまたグラフィックモードはなかったし音源もPSG1声というファミコン以下のシロモノで全然ゲームがヘボヘボだった。ヘボヘボだったけどその頃のゲーム専用マシンには少なかったアドベンチャーゲームが多く物珍しさから一気にハマった。当時のアドベンチャーは今主流のコマンド選択総当り式の誰でも解けるハートフルな作りからは想像もつかない厳格な言葉探しゲームであった。当時僕は雑誌で見たアップル2で走るTIME ZONEという大作ADVをやりたいと思ったが所詮MZ−700ごときに洋ゲーが移植されるわけもなく、プレイできたのは不思議の森のアドベンチャーとかワンダーハウスとか聖なる剣などといった結構今考えると凄いタイトルのゲーム達であった。内容も風が吹けば桶屋が儲かる的な破天荒なストーリーが多く、今のコンシューマーソフトのように先が見え見えで一夜解きできるようなモノではなかった。こうして僕は「ON SWITCH」とか「ブツゾウ オガム」とか毎日キーボードに向かって打ち込み続けたのだった。MZ−700の演奏能力は前述の通りぱっとせず市販ソフトでもせいぜいビルディング・ホッパーというACGのネーム入れBGMに、YMOのビハインド・ザ・マスクが使われていてすごく感動したぐらいであったが、パソコンの強みとして自分でプログラムを打てばその通りに演奏してくれる面白さがある。こうして僕はナムコゲームのすべてという本に載っていた楽譜を打ち込んでナムコサウンドを再現しようと躍起となったがPSG1声ではかなり無理がある。それでもやる人はいる訳で、古旗さんというMZ−700ユーザーの神様みたいな人がいて、この人はBGMを含めてゼビウスやスペースハリアーを完全移植してしまったから凄い。プログラムリストも膨大だったが。 そんなこんなでまたまた時は流れ、僕もいつのまにか高校生になっていた。この間に僕もセガのマスターシステムを買ってそのすぐ二ヵ月後にメガドライブが発表されて全身の血の気がひいたり、MZ−1500というMZ−700の後継機種を買ったのはいいけども最新テクノロジーの結晶のはずのクイックディスクがFCのディスクシステムの変造コピーのせいで一気にすたれたりとなかなか切ない思い出が多かったりする。でもマスターシステムにはDOOM顔負けのぐりぐり動く移動モードで有名な初代ファンタシースターや、右下にパッドを入れておくだけで12面まで行けるアフターバーナーとか思い出深いソフトも多かったし、MZ−1500は単純にPCGで描いたキャラを動かすのがテキスト文字並みに簡単であるという理由だけで、電波ソフトのナムコ移植モノが真っ先に開発されるという栄誉にあずかっていたのであるがさすがにスペースハリアーは移植されなかった。そんなわけでこの頃の僕の愛読書はマイコンベーシックマガジンであったし、掲載プログラムも結構マメに打ち込んでいた。ちなみに誰も覚えていないとは思うが電波ソフトのナイザーというアクションRPGのゲーム・ミュージックは本当に素晴らしかった。特にエンディングの力の入れ様が呆れるばかりで音楽担当は確かYK−2氏(当時)だったと思うがこの頃のベーマガ(1985〜87年頃)がどこにも無いからわかりません。さて高校生になった僕はやっぱりゲームばっかりやっていた。家のMZはすっかりユーザーに託されたマシーンになっていたので僕は自然とゲーセンに通っていた。あの頃のゲーセンは下手な小細工は一切無く素直にゲーセンだった。置かれていたゲームもSTGやACGが主体でみんな黙々とプレーしてて変な熱気にあふれていたような気がする。そう、あの頃はまだまだアーケードの方が家庭用ゲーム機のよりも、こう言っちゃうとアレだけど夢にあふれたゲームが断然多かったと僕は思っている。ゲーム・ミュージックだけではなく画面への表現能力も次々と進化していくアーケードゲームに僕は次から次にハマった。このさいダラダラと書いてしまうと、ボーナス面の曲が死ぬほどイカすアフターバーナー2に、殺人マシーンになりきれる忍者ウォリアーズに、フォトントゥーピドが熱いグラディウス2に、ぐるぐる回るギャラクシーフォースに、逆重力が破天荒なストライダー飛竜に、喋りがイカすチェイスHQに、香澄ちゃんがかわいいスーパーリアル麻雀Part3に興奮しまくった僕はゲーセンに通いつめ、ゲーメストをむさぼり読み、思わずリアル麻雀のOVAを購入してしまったりしていた。高校時代は人並みに良くない友人も色々と増えた。彼らは皆それぞれ当時現役バリバリのパソコンで遊んでいたのでちょっと羨ましかった。88はすけべえなのも含めてとにかくゲームが無闇やたらとリリースされていたし、X1は同じシャープのマシンとは思えないほどMZと比べると垢抜けていてカッコ良かったし何よりFM音源が付くのが羨ましかった。僕の心に残っている曲が好きだったパソコンゲームをずらずら並べてみると喋りがイカした88のシルフィードとかPSG音源版の方がより好きだけどX1のうっでいぽことかなんだか耳につく曲が多いヴァリスやファイナルゾーンとかのテレネットものとかぎゃん自己とかウルティマとかあったけど、なによりも死ぬほどイイ曲だったのがシステムサコムがX1にだけ出したアクションRPGのユーフォリー。軽快で、明るくて、切なくて、FM音源で、とにかく使われている全ての曲が最高だった。あまりの感動に僕は所有者である友人に頼み込んでテープに録音してもらった。あまつさえ曲名が分からないのを勝手に考えてインデックスカードに書き込むという恥ずかしいコトもしていた。とにかく僕のパソコンGM心のベストテン第1位であったユーフォリーだが作曲されたサコムの斉藤氏は残念ながらお亡くなりになっている。合掌。さてこの友人からはユーフォリーの他にもついでにウルティマとかリバイバーの録音テープも貰ってまだ持っていたりする。関係ないけどFCのアテナにオマケで付いていたサイコソルジャーのカセットもこの前出てきた。そんなことはどうでもいいとして、僕は学校ではパソコン部みたいな所に入部してMZで占いプログラムを作って文化祭に出したりそれ以外の時は単にゲームしたりとだらだらと暮らしていた。この頃になるとゲーム・ミュージックもかなり一般に認知されていたみたいで、僕は市販されていたセガのSSTやタイトーのZUNTATAやコナミの矩形波やちょっとマニアックな所でセタのガヴリンサウンドのミュージック・テープを買ったり借りては編集しそれこそ擦り切れる程聴きまくっていた。思えばあの頃からセガは意地でギターサウンドに取り組んでいたしZUNTATAは怪しい事この上なかったし矩形波はメロディアスでオケヒが多かった。昔の路線からガラリと変化してしまったのは今や踊り系テクノ一直線のナムコぐらいではなかろうか。それはともかくいくら新作のゲーム・ミュージックを聴いても、いちばん古いナムコのビデオゲーム・ミュージックとリターンオブザ・ビデオゲーム・ミュージックが僕にとっては常に最高だった。アルファレコードから出ていたのもなんだか気に入っていた。

 しかしまったくもってアーケード・ゲームの勢いは全く衰えそうに無かった。まるでジェットコースターのようなコースレイアウトだったパワードリフトは死ぬほど興奮できたしワルキューレの曲は泣けるほどゲームの世界にハマっていて特に黄金の城のステージの曲が良かった。しかしスト2が発売され僕が大学生になった頃からすこしずつすこしずつゲーセンがそれまでのゲーセンとは違うモノに変貌していくような感覚に襲われることが多くなった。そんなこんなで僕がパロディウスだ!やローリングサンダー2や出たなツインビーとかのイカした曲に気を取られているうちに、いつのまにか街のゲーセンは落ちモノとクイズとUFOキャッチャーだけのどこに出しても恥ずかしくない適当な暇つぶしスポットになってしまっていた。こうして意気消沈した僕は実に月並みではあるが、いまや拡大縮小回転でもCD−ROMでも初回特典でも何でもアリとなっていたコンシューマーゲームの世界に戻ったのである。もちろんゲームソフトの評価の第1項目には僕の場合やはりゲーム・ミュージックが来てしまう。SFCにはなんだかこもった感じの音質のソフトが多くて好きになれなかった。それで僕はPCエンジンのPSG音源の音の方が透き通った音でずっとマシだと思っていたし、メガドラの音はなんだかギラギラしていてこれはこれでカッコいいなあとも思ったけど金色で16BITと書かれている本体デザインだけは好きになれなかった。個人的には本体だけならやたら小さいPCエンジンがいちばん好きである。コア構想はいただけなかったけど。ゲームの内容的にもSFCのゲームは大作指向のRPG&お子サマ向きな感じで食指が動くソフトは皆無だった。むしろPCエンジンの小粋なSTGやACGとかメガドラの勢いだけで作りました的なゲームの方に僕は砂漠でオアシスを見付けた遭難者のようにフラフラ吸い寄せられていった。そもそも僕はRPGをやらない。やった事があるのはPCエンジンのスサノ王伝説という永井豪原作の非常にディープな奴ぐらいである。そういやダンマスも解いてた気がする。とにかく僕が解いたRPGは5本の指で事足りるほど少ない。僕のゲームに対する評価は最終的にズップリと違和感なくゲームの中に「はいれるか」の1点に絞られる。ぶっちゃけていえば「興醒めしないか」という事である。RPGの戦闘はどう見ても興醒めだ。なんだかどうでも良い話になってきたからもとに戻す。

 大学生になった僕は一人暮らしを始めたのをいい事にいきなりキョーワインターナショナル製の3つボタン付きゲーム基盤用コントロールボックスを買ってしまった。そんなに僕もマニアではないのではっきりとは分からないがおそらく1990年頃の古ゲー基盤の相場はかなり低かったのではないか。なにしろ僕はナムコのディグダグ2とかジャレコのぶたさんといったちょっと渋めの基盤を当時通信販売で4、5千円で手に入れることができた。それで最近金に困って売ってしまったがいきなり10倍の4、5万円になって帰ってきたので吃驚したがすぐゲーム代に消えた。ともかくげに恐ろしきは昨今の古ゲー市場である。さてぶたさんはともかくディグダグ2は縦画面だったのが災いして僕の韓国製の21型テレビはまっとうに使用した場合と比べて寿命を縮める事になってしまったがそんな事はどうでもよい程ゲーム基盤の奏でるピコピコした電子音楽は最高にいかしていた。初代ディグダグ同様ディグダグ2はネーム入れの曲が非常にすかしていたから意地でプレーした。縦置きした家庭用テレビでディグダグ2を猿のようにプレーする僕はすっかりいい感じに古ゲー好きのじじいゲーマー以外の何者でもなくなっていた。もちろんゲーセンではリアルタイムで遊べなかった古ゲーを探し回り、タイトーのナイトストライカーやナムコのメタルホークやオーダインやホームデータの麻雀クリニックなどを見つけてはその台が移動で消える時まで遊び倒した。ナイトストライカーやオーダインは曲が非常に素晴らしかった上にゲーム本編も非常に爽快感がありメガCDやPCエンジンに移植されるとファンの務めとばかりにすぐに購入した。あまりゲームミュージックとは関係ないがPCエンジンになぜかナグザットから移植され続けたスーパーリアル麻雀シリーズもファンの務めで全て購入したけど今考えたらセタの出したサターン版と比較してこっちのPC版の方がBGMとか業務用に忠実だったような気がする。そんなこんなで移植モノに限らずオリジナルも含めて僕はあらゆる家庭用ゲーム機用のソフトを、親に無理矢理貯金させられて結構凄い金額になっていた高校時代のバイト代が1年間で全部なくなる程購入しまくり、暇に任せて遊びまくった。中にはソフト代以上に十分元が取れるくらい遊んだソフトもあったが多くは期待はずれだった。中でもメガドラのソードオブソダンは発売日に買って2時間後に売った思い出深いソフトだが、今思うと結構味のある逸品に思えてきてこの前300円で買い戻したがやっぱり変に残虐シーンにだけ凝っていてくそ難しいだけのゲームだった。それはともかく、結果的にシェアはSFCに及ばなかったがPCエンジンやメガドラにはそれぞれの内蔵音源の特性を活かした本当に曲が良く出来ているなあと思うゲームが色々あってそういったソフトを発見するのが僕の趣味になってしまった。だらだら挙げるとメガドラの修羅の門とかは始めは単なるキャラゲーと思っていたら実は非常にBGMがハマっていてこれならアニメ化したらそのまま使えるんじゃないかと思ってしまったし、PCエンジンの改造町人シュビビンマン2とかはもうPSGの限界に達しているかのような熱い演奏を聴かせてくれてこりゃ続編も凄いぞと思っていたら3はCD−ROMによるソフト供給でもう曲なんかどうでも良くなるような能天気な声優さんの喋り主体となっていて一人怒りを覚えたりもした。セガのソニック1とかはUFOキャッチャーのBGMになるほど優れた曲ぞろいであったがシリーズを重ねるうちにテイルスさえ可愛ければ他の全てが許されるソフトになってしまったのが非常に残念であった。やはりどの世界でも初代が最強という話があるものである。

 とまあここまでダラダラと書き綴ってきた通りにとにかく僕はパソコンやアーケードやコンシューマーのありとあらゆるゲームに対して音楽や効果音にこだわり続けた。かといって僕が音楽をめちゃくちゃ勉強して非常に知識に恵まれているかというと全然違ってそんなのは全く分からないし単に自分の肌に合うかどうかだけでありそういった意味で僕がいう曲がいい!絶対いい!死ぬ程いい!などといった評価は当然ではあるが非常に無責任で他の人の参考になるのも怪しい所かも知れない。でも僕はそれはそれで全然かまわないと思っているし僕が古ゲーが旧世代音源で演奏するピコピコしたBGMが好きなのは懐かしいからではなく本当にあの電子音楽がまったくもってイカスと思っているからである。次世代機などと呼ばれるゲーム機の最先端の音源ボードから生み出されるゲームBGMにも非常にゲームの世界観にマッチしていて思わず画像ともども吸い出してマックのムービーファイルに落としたくなるようなベリーナイスな奴も少なくはない。その一方で時代がもはやあのピコピコでピコピコな電子音楽には戻れない現実が、僕にはいくら頭の中ではポリゴンでガリガリと仕上げたゲームにそんなのは合わねぇよ浮いちまうよと理解していても、たまらなく悲しい。だから僕はいい歳してファミコンやメガドラやHUカードの1本300円セールに胸を高鳴らせ、プレイステーションのナムコミュージアムのラインナップに興奮し、サターンのSEGA AGESにカルテットを出そうとしないセガに憤りを覚えてしまったりしているのである。そーゆーわけなのである。(了)

※この文章は1997年に生まれた猿ともこさんの『A@』に寄稿したものです。転載許可を下さった、ともこさんに感謝いたします〜(杉本)

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